<Header>
<Author: 白居易>
<Title: 新豐折臂翁－戒邊功也>
<Format: 古詩>
<Year: 2000>
<BookName: 校注唐詩解釈辞典>
<Translator: 松浦友久>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 新豐（しんぽう）の臂（うで）を折（を）りし翁（おきな）辺功（へんこう）を戒（いまし）むるなり>
<BookPage: 474-482>
<UsedPage: 9>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
新豐老翁八十八，
頭鬢眉須皆似雪。
玄孫扶向店前行，
左臂憑肩右臂折。
問翁臂折來幾年，
兼問致折何因緣。
翁雲貫屬新豐縣，
生逢聖代無征戰。
慣聽梨園歌管聲，
不識旗槍與弓箭。
無何天寶大徵兵，
戶有三丁點一丁。
點得驅將何處去，
五月萬里雲南行。
聞道雲南有瀘水，
椒花落時瘴煙起。
大軍徒涉水如湯，
未過十人二三死。
村南村北哭聲哀，
兒別爺孃夫別妻。
皆雲前後徵蠻者，
千萬人行無一回。
是時翁年二十四，
兵部牒中有名字。
夜深不敢使人知，
偷將大石捶折臂。
張弓簸旗俱不堪，
從茲始免徵雲南。
骨碎筋傷非不苦，
且圖揀退歸鄉土。
此臂折來六十年，
一肢雖廢一身全。
至今風雨陰寒夜，
直到天明痛不眠。
痛不眠，終不悔，
且喜老身今獨在。
不然當時瀘水頭，
身死魂孤骨不收。
應作雲南望鄉鬼，
萬人冢上哭呦呦。
老人言，
君聽取。
君不聞開元宰相宋開府，
不賞邊功防黷武。
又不聞天寶宰相楊國忠，
欲求恩幸立邊功。
邊功未立生人怨，
請問新豐折臂翁。
<End Poem>
<Translation>
新豊生まれのじいさん、年は八十八。髪・鬢・眉・鬚も、みな雪のようにまっ白だ。玄斑にささえられて、店さきを歩いて行く。見ると、左の腕は玄孫の肩にすがり、右の腕は折れている。
じいさんに、腕を折ってからこれまで何年になりますかと尋ねてみる。そしてさらにまた、腕を折ったのは一体どういうわけだったのですかときいてみる。
じいさんは言った。わたしの本籍は新豊県に属しております。玄宗皇帝のすぐれた御世に生まれあわせまして、いくさなどありませんでした。宮廷の歌舞団、梨園の奏でる管舷の音に聞き慣れて育ち、旗・槍・弓・箭のようなものは、まるで存じませんでした。
ところが、やがて天宝の世となり、大がかりな後兵が始まりました。一軒の家に三人の下がおれば、一人は必ず兵籍に入れられたのです。兵隊にとられ、駆りたてられて、どこへ行くのでしょうか。五月の暑いまっさかり、はるか万里も離れた雲南に行くのでございます。
人のうわさでは、雲南には瀘水というおそろしい河があって、山椒の花が散るころには、河から有毒のガスが立ちのぼるとのこと。
大軍がこの河を徒歩で渡ると、水はまるで湯のようにわきかえり、まだ渡りきらぬうちに、十人のうち二、三人は死んでしまうのだと 聞きました。
村の南や北のあちこちから、哀しげな働哭の声が聞こえました。児は父母と別れ、夫は妻と別れねばなりません。皆は口々にこう言っていました、あとにもさきにも、蛮族の征伐にむかった兵隊は何千人、何万人も出征して、一人も帰ってきたものはいなかったと。その時、この年寄りの年齢は二十四でございました。役所の兵籍簿には名前がのっておりました。そこで夜もふけたころ、決して人に知られないようにして、こっそりと大きな石で腕をたたき折りました。
こうすれば、弓のつるをひくことも、旗をふることもかないません。そうしてやっとのこと、雲南への出征をまぬがれました。
骨が砕け、筋肉が傷ついて、苦しくないはずはありません。しかしともかくは、軍隊名簿から外されて、故郷に帰ることを計画したのでございます。この腕が折れてから六〇年。手足の一本は使いものにならなくなりましたが、わが身はこのとおりちゃんと生きております。今になるまで、風雨の夜、曇って寒い夜など、夜が明けるまでずうっと痛くて眠れません。
痛くて眠れはしませんが、結局のところ、後悔はいたしません。
ともかくも、老いたこの身がいまなお一人、健在でいることを喜んでおります。さもなければあの当時、瀘水のほとりで、この身は死んで、魂は孤独にさまよい、骨も拾われないまま、きっと雲南の地に、望郷の幽鬼となって、万人塚のあたりで悲しげに哭いていたことでありましょう。 老人のこのことばを、どうか諸君、よく耳に留められたい。諸君はご存知であろう、開元年間の宰相、宋開府が、辺境での軍功に恩賞を与えず、無用の戦争を防がれたことを。
またこうもお聞きであろう、天宝年間の宰相、楊国忠が、天子の恩寵ほしさに、国境でのてがらをもくろんだことを。しかし国境での軍功が立てられぬうちに、まず人民の怨みの声が湧きおこったではないか。その件の詳細については、どうか、新豊の腕を折ったじいさんに尋ねてくれたまえ。
<End Translation>
<Formatted Translation>
新豊生まれのじいさん、年は八十八。
髪・鬢・眉・鬚も、みな雪のようにまっ白だ。
玄斑にささえられて、店さきを歩いて行く。
見ると、左の腕は玄孫の肩にすがり、右の腕は折れている。
じいさんに、腕を折ってからこれまで何年になりますかと尋ねてみる。
そしてさらにまた、腕を折ったのは一体どういうわけだったのですかときいてみる。
じいさんは言った。わたしの本籍は新豊県に属しております。
玄宗皇帝のすぐれた御世に生まれあわせまして、いくさなどありませんでした。
宮廷の歌舞団、梨園の奏でる管舷の音に聞き慣れて育ち、
旗・槍・弓・箭のようなものは、まるで存じませんでした。
ところが、やがて天宝の世となり、大がかりな後兵が始まりました。
一軒の家に三人の下がおれば、一人は必ず兵籍に入れられたのです。
兵隊にとられ、駆りたてられて、どこへ行くのでしょうか。
五月の暑いまっさかり、はるか万里も離れた雲南に行くのでございます。
人のうわさでは、雲南には瀘水というおそろしい河があって、
山椒の花が散るころには、河から有毒のガスが立ちのぼるとのこと。
大軍がこの河を徒歩で渡ると、水はまるで湯のようにわきかえり、
まだ渡りきらぬうちに、十人のうち二、三人は死んでしまうのだと 聞きました。
村の南や北のあちこちから、哀しげな働哭の声が聞こえました。
児は父母と別れ、夫は妻と別れねばなりません。
皆は口々にこう言っていました、あとにもさきにも、蛮族の征伐にむかった兵隊は
何千人、何万人も出征して、一人も帰ってきたものはいなかったと。
その時、この年寄りの年齢は二十四でございました。
役所の兵籍簿には名前がのっておりました。
そこで夜もふけたころ、決して人に知られないようにして、
こっそりと大きな石で腕をたたき折りました。
こうすれば、弓のつるをひくことも、旗をふることもかないません。
そうしてやっとのこと、雲南への出征をまぬがれました。
骨が砕け、筋肉が傷ついて、苦しくないはずはありません。
しかしともかくは、軍隊名簿から外されて、故郷に帰ることを計画したのでございます。
この腕が折れてから六〇年。
手足の一本は使いものにならなくなりましたが、わが身はこのとおりちゃんと生きております。
今になるまで、風雨の夜、曇って寒い夜など、
夜が明けるまでずうっと痛くて眠れません。
痛くて眠れはしませんが、結局のところ、後悔はいたしません。
ともかくも、老いたこの身がいまなお一人、健在でいることを喜んでおります。
さもなければあの当時、瀘水のほとりで、
この身は死んで、魂は孤独にさまよい、骨も拾われないまま、
きっと雲南の地に、望郷の幽鬼となって、
万人塚のあたりで悲しげに哭いていたことでありましょう。 
老人のこのことばを、どうか諸君、よく耳に留められたい。
諸君はご存知であろう、開元年間の宰相、宋開府が、
辺境での軍功に恩賞を与えず、無用の戦争を防がれたことを。
またこうもお聞きであろう、天宝年間の宰相、楊国忠が、
天子の恩寵ほしさに、国境でのてがらをもくろんだことを。
しかし国境での軍功が立てられぬうちに、まず人民の怨みの声が湧きおこったではないか。
その件の詳細については、どうか、新豊の腕を折ったじいさんに尋ねてくれたまえ。
<End Formatted Translation>